仕事のなやみ

心を平静に保つためのコツ4選

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あなた
「不安や迷いで興味の対象が変わりやすい。他人が羨ましく妬ましい。どうせ何をやっても無駄だと感じる。過去の後悔ばかり思い出されて苦しくなる。何もやる気が起きない。」

こういった方に、おすすめの記事です。

 

心が平静でないと、遊びや勉強、仕事への集中を妨げる上に、心にもない愚痴や批判を言ってしまったり、気分転換をするのに時間もお金も浪費してしまいます。日頃から心を平静に保つコツをわきまえておけば、日々快適に効率よく暮らすことができます。

 

この記事では、『生の短さについて/セネカ著』に収められた『心の平静について』を参考に、心が穏やかでなくなる理由や、心を平らかにするためのヒントなど、要点をまとめていきます。(※当時の時代背景で描かれており、現代にそぐわない内容については、わかりやすく言い換えています。)

 

心が平静でない状態を解説する

 

以下に、心が平静でない時の心の動きを整理してみました。自分に対する不信や不満から生まれた無力感や悲しみが一定の域を超えると、憎しみや怒りを外側に向けはじめ、それでも変わらない自己にまた不信や不満を深める。このようなサイクルをぐるぐる回っている時が、心が平静でない状態です。

 

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これは結局のところ、「自己に対する不信・不満」という一事に帰します。ですから心の平静を保つためには、「自己に対する不信・不満」を解消すればよいということになります。

 

自己に対する不信・不満を解消するには

 

「自己に対する不信・不満」は、望みへの不安がある、あるいは見込みが薄いために心のバランスを崩すことで生まれます。これを解消する方法が以下の3点です。

 

  • 信じる自分の道を定めること
  • 心を乱すものとの付き合い方を知ること
  • 時には心のメンテナンスを行うこと

 

書籍中の言葉を引用しながら、詳しく説明していきます。

 

【コツ1】道を定める

 

人や社会のために善行を積む

もっぱら一つの仕事に意を用いることが何よりも第一に立派なことである。最も良い方法は、実務の遂行や、公務の処理や、市民の義務に専念することであろう。自国民ならびに全人類のために一身を献げる志を抱くとき、自己を職務の中心に置いて、公私双方の利益のために自己の能力に応じて策を施す者は、駆り立てられて同時に前進する。徳はたとえ覆われることはあっても決して隠れることはなく、自らの存在を示す合図を送り続けている。君は多くの人々を友情に引き入れるであろうし、君の周囲に集まって来るのは最高級の人ばかりであろう。

 

公私双方の利益のためになる一つの仕事に専心すること。徳を積むことで、友情や素晴らしい人間関係に恵まれる。なお、その活動は公的な仕事だけでなく、私的生活においても同じく、知性や言葉や忠告によって個々人にも一般人にも役立つよう心がけねばならない、と書かれています。

 

自分の実力や適性を見極める

行為者の力量のほうが、仕事の内容を常に上回らなければならない。着手してよい仕事は、完成できる見込みがあるか、あるいは少なくとも完成を期待することができる仕事だ。或る仕事は重大なものというよりは、むしろ多産といもいうべきもの。このような新しい雑多な用務を生ずる仕事は避けなければならない。本来の活動以上に広範囲に進む仕事や、とどめようと思ったところでとどまらない仕事、自由には引き下がれない仕事にも近づいてはならない。

特に大事なことは、自分自身の性質を正しく検討することだ。実力や適性を見極めること。買い被っても過小評価してもならない。考えねばならないことは、自分の性質が活動的な仕事に向いているか、それとも有閑のうちに研究、ないし黙想することに向いているか、である。そして自分の才能の力に導かれる方向に傾いて行かねばならない。

手の届かないものを高望みしてはいけない。骨折りはむなしく不首尾に終わってはいけないし、また首尾も骨折りにふさわしくなければならない。というのは、通常悲しみが生ずるのは、ことが成功しなかったか、あるいは成功を恥じるかの場合だからである。あらゆる労力は一定の目的に向けられねばならず、一定の目的を顧慮しなければならぬ。

 

公私双方の利益のためとは言っても、成功を恥じたり、失敗したり、仕事に不利益を生んだり、体を酷使するなどして、悲しみが生ずることのないよう、着手すべき仕事・すべきでない仕事があると言います。分類は以下です。

 

着手して良い仕事・・・完成できる見込みがある、あるいは完成を期待できる仕事
着手すべきでない仕事・・・当人の力量を上回る仕事、雑務を増やす仕事、着地点が見えない仕事、自由に引き下がれない仕事

 

活動を見極める際は、以下の点に注意するよう書かれています。

 

・一定の目的を持って考える
・自分の実力や適性を正しく見極める
・労力を費やすだけの価値があるかを見極める
・崇高な義務がない時はもろもろの行為を差し控える

 

人を選ぶ

人間を選ばねばならぬ。果たして彼らは我々の生活の一部を費やすに値する人間であろうか。あるいは我々の時間の犠牲が彼らにわかっているであろうか。中にはわれわれの親切を自分勝手に我々の負債にしてしまう人間もあるからである。

 

親切を受けても、「他者が自分に親切にするのは当たり前」と自分勝手に解釈してしまう人間がいることを指摘している。私たちの生活の一部を費やすに値する人間か、どれだけの時間の犠牲を払っているかを分かっている人間かを見極め、人を選ぶよう忠告しています。

 

節制に努める

財産は人間の苦難をもたらす最大の原因である。われわれの悪い財産がわれわれにもたらす災難は、われわれを苦しめる他のすべてのもの(つまり死、病苦、恐怖、欲望、さては苦痛や苦労の辛抱など)がもたらす災難よりも圧倒する。貧乏には失う原因が少ないだけ、それだけ苦悩も少ないことを知らねばならぬ。

奉公人がいれば衣も食も要る。大食らいの生き物たちの沢山の胃袋を養わねばならないし、着物も買ってならねばならぬ。泣いたり嫌がったりする者でも仕事に使わねばならぬ。これに較べると、何のこだわりもなく「否」と言える相手、つまり自分自身以外には誰のおかげも被っていない人は、どんなにか仕合せであろう。財産はどの程度がいちばん良いかというに、貧に落ちることもなく、さりとて貧から遠く離れていることもない、というところである。その救済策は手近にあり、貧乏でさえ、財を上手に切り盛りすれば裕福になることもできる。

食物は飢を押さえるほどにし、飲料は渇を癒すほどに、欲は必要欠くべからざる限度に発散しよう。節制を強め、贅沢を抑え、名誉欲を差し控え、怒気を和らげ、貧乏をながめるのに公正な眼を用い、質素を培い、たとえ多くの人々は恥じようとも、それにもかかわらず自然の欲求には、安価に得られるものを当てて癒すことである。また、制しきれない望みや、未来にはやる心は鎖でつなぎとめておくようにし、運命からというよりも、自分自身から富を求めるようにすることである。

 

財産が私たち人間に苦難をもたらす最大の原因と書かれています。なぜなら財産を持つと、例えば「奉公人がいれば衣も食も要る」といったように他者を養うことや、「泣いたり嫌がったりする者でも仕事に使」うことや、「大食らいの生き物たちの沢山の胃袋を養わねば」といった贅沢を望む者にも答える必要性が生まれるから。「食物は飢を押さえるほどにし、飲料は渇を癒すほど」と必要以上の華美を取り除き、「否」と言える相手、つまり自分自身の意思決定に従って生きることが幸せだ、と書かれています。

 

【コツ2】心構え

 

嘆くよりも笑い、静かに受け入れる

笑うものはある程度の明るい希望を人間に残すが、しかし嘆く者は、なんとも良くしようのないことを嘆く。あらゆる場合を考えると、笑いを抑えられない者の方が、涙を抑えられない者よりも大きい心の持ち主である。人間の行っていることは全部、その始めと全く同じで、人間の生活がどんなに崇高であっても苛酷であっても、結局人間は無から生まれて無に帰るという考え方以上に出るものではない。さらに望ましいことは、世間の慣例や人間の悪徳を静かに受け入れ、笑いにも涙にも走らないことである。

 

「人間は無から生まれて無に帰る」以上の意味はないとし、笑ったり嘆き悲しんだりせず、静かに受け入れることが望ましいと書かれています。

 

率直である

常にお面をかぶって生きるよりも、飾り気なく自分の性格を隠さず率直に生きる方が化けの皮をはがされる心配が少なく楽しいだろう。しかし、何もかも開け放しであると、軽蔑を受けたり、親しくなったものに嫌気をおぼえられたりする可能性がある。率直さのゆえに軽蔑されても、そのほうが絶えず虚勢を張って苦しむよりもましである。だがわれわれは物事に節度を持つべきである。

 

素の自分を偽って生きるよりも、率直に生きるのが良いと書かれています。

 

【コツ3】心を乱すものとの付き合い方を知る

 

欲望は遠くに走らすべきではない。近くに出て行くことだけを許してやるがよい。なぜというに、欲望というものは完全に閉じ込められる事には耐えられないからである。我々は、行うことのできない、あるいは行うことの困難な事は捨てた上、近くにあって我々の期待をそそるようなものを追うのが良い。しかし、そのようなものは、どれもみな軽薄なものばかりであって、外面は別々の顔を持っていても、内面は同じように空虚なものであることを知らねばならない。我々は高位に立っている人々を羨んではならない。高くそびえて見えたものは、実は険しい断崖である。

 

欲望を完全に抑え込むことはできない。しかし、高くそびえて見えるものは実は険しい断崖だから、手の届く範囲で欲を満たすのが良いと書かれています。

 

災い

災いを厭うべきものとするよりは、むしろ軽いものと思うように心がければ どんな種類の生活の中にも、楽しみも慰めも喜びも見つけられるであろう。難事に際しては理性を活用するがよい。固いものは柔らかくされるし、狭い場所も広げられる。重いものでも巧く堪える人には、それほど重くはない。

人は自分の境遇に慣れねばならぬ。そして境遇についてできるだけ不平を言わず、自分の周囲に為になるものがあれば、なんでも掴まえねばならぬ。心静かのなかに慰めが見つからないほど悲しむべきことはない。もしも不運が最初の打撃と同じ力を依然として持ち続けたならば、それに堪える者はひとりもなかったであろう。

 

災いは、嫌って避けるのではなく、理性を働かせて、その災いの程度の軽さに着目すれば、楽しさや慰めや喜びが見いだせる、と書いています。また、「不運は最初の打撃と同じ力を持ち続けたら堪える者は一人もいなかったであろう」というのはつまり、私たちは打撃を受けるたびにその力は軽減される、慣れる力を持っているという風に解釈できます。

 

賢者は自分を無価値のものとは思わず―――というのは自分は自分のものでないことを知っているから―――あらゆることを勤勉に、また用意周到に行うであろう―――あたかも神を崇め神を信ずる者が、信託された財産を守る時にするように。しかし、いつか返却を命じられる時には、賢者は運命の女神に向かって不平を言うことなく、次のように述べるであろう。死を恐れる者は、生きている人間にふさわしいことを何もしないであろう。しかし、死ぬことは人が母体に宿った瞬間の定めであることを知る者は、この原則に従って生きる。と同時に、さらに同じように強い精神を持って次のように言い切るであろう―――生じくるものの中に何一つ突然の出来事はない―――と。

つまり彼は、まさに起こるべくして起こりうる事件をことごとく遠望することによって、あらゆる災いの衝撃を緩めるであろうが、これに備えて待機している者には、目新しいことは何も起こらない。しかし、それに無関心でただ幸福だけを狙っている者には、この衝撃は重圧になる。

 

賢者は「自分は自分のものではなく、仮に貸し与えられたものであり、返却を命じられれば、嘆き悲しむことなくお返しする」、というように「死ぬことは人間の定め」という原則に従って生きる。だからこそ、賢者は運命を恐れずあらゆることを勤勉に用意周到に行うが、ただ幸福だけを狙っている者にとって、死は恐れの対象、重圧となる、と説いています。

 

【コツ4】心のメンテナンスを行うこと

 

良い友を選ぶ

 

言うまでもなく、われわれはできる限り、利己心のない人を選ぼう。なぜというに悪は、いつか知らぬ間に忍び寄って近くにいる者に次々に伝わっていき、触れるだけで害を及ぼすからである。友を選ぶときには相手の性格に十分注意を払って、できるだけ不潔でない者を我が友にしよう。

とはいえ、賢者以外は誰にも従うな、誰をも近寄せるな、ということではない。最善の人は無理でも、悪の最も少ない人でよいではないか。といっても、特に避けねばならぬ者はいる。それは陰性で、何事にも嘆きを発する者たちであって、この者たちにかかっては、どんなことでも不平の種にならないものはない。たとえ誠実や好意は一貫していても心は安定せず、何事にもため息をつく仲間は、心の平静にとっての敵である。

 

「真心のある真実の友情は、不安を和らげ、心に喜びを与え、決意を促してくれる」としつつも、ここでも、性格に十分注意を払い友を選ぶよう注意を促している。利己心がなく、性格や行いに嘘やごまかしがなく清らかである者が良く何事にも嘆きを発し、どんなことも不平の種にしてしまう者は心の平静の敵になるため避けるべし、と書いています。

 

ひとり時間、人との交流のバランス

性質の違った人々との交わりは心の安静を乱し、激情をよみがえらせ、また心の中にまだ十分癒えない弱いところがあれば、それを一層弱くする。そのため、われわれはたびたび自己のうちに戻らねばならぬ。しかし、独居と群衆は互いに組み合わされ、交代されねばならぬ。独居は人々への愛着を起こさせ、群衆はわれわれ自身への愛着を起こさせる。両者は互いに他の救いとなるであろう。群衆への嫌悪を癒すのは独居であり、独居の退屈を癒すのは群衆であろう。

 

一人時間は気質の異なる人々との交流で乱れた心を癒し、人々との交流は一人時間の退屈を癒す、独居と群衆は互いにどちらも大切と説いています。

 

時には休養をとる

いつも心を同じ緊張のうちに押さえつけておくべきではない。時に心にはくつろぎが必要。休養によって、心は前よりも一層よき鋭さを増すであろう。心も休みなく働くとその活力をくじかれるだろうが、少しでも解放されて休養すると、再び活力を取り戻すだろう。心が休みなく働くことから生ずるものは、或る種の無気力と倦怠感である。我々は心のことを気遣い、その食料と活力としての余暇を時々それに与えねばならない。

 

休みなく働くと無気力と倦怠感を生じるとし、休養をとることで再び活力を取り戻すことを説いています。例として、当時の人々の休養の取り方が示されています。

・毎月一定の日を休日に当てていた人
・毎日を余暇と業務に分けていた人
・22時過ぎにはどんな仕事もたずさわらなかった人。(何か新しい業務が起こることを恐れたため。その代わり、その2時間のうちに1日の疲労を取り除いた。)
・正午に休んで、午後の時間には何か比較的軽い仕事を振り向けた人。

 

心を広く高める体験をする

野外の散歩道を散策して、広々とした大空を眺め大気を十分に吸うことにより、心がおのずから広められ高められるように努めねばならぬ。時には騎馬や旅行や転地が元気を与えるであろう。また仲間と一緒に会食をしたり、くつろいで酒を飲んだりすることもよい。ときには心を歓楽や自由のなかに連れ出さねばならぬ。何か崇高な、他をしのぐような言葉を発するには、心の感動がないかぎり不可能である。

 

崇高な仕事を行い、良い言葉を発するには、心を伸び伸びと広め、高められるような体験も必要、と説いています。例として、屋外を散歩して外の空気を吸ったり、旅行や引っ越し、友人との食事などをあげています。

 

まとめ

 

心を平静に保つためのコツをご紹介しました。いかがでしたか?個人的には、現代でもなんら違和感のない教えが、紀元前1年~紀元後65年の間に書かれたことに驚くとともに、人間が心を乱したり整えるための法則はいつの時代も変わらないのだと気づかされます。

私たちの心は動揺しやすいため、絶え間ない保護と気遣いが大切ですが、一方で著者のセネカは心が平静でない状態を、以下のように例えています。

 

  • 病気は治り健康になったはずなのに、病気を脱したのかという疑念に心が落ち着かず、医師に熱があるなどと訴える患者のよう。
  • 寝ようとしても寝られずに、あちこちに身の位置を変えているようなもの。

 

「心のざわつきは、心の寝返りのようなものだ」ということですね。私たちはふさぎ込んだり、周囲に攻撃的になったりと、ついその状況に振り回されてしまいがちですが、其の実、寝返りのように、気にとめるほどのことじゃない、ということも覚えておくといいかもしれません。この記事があなたの心を平らかに保つための、お役に立つと嬉しいです。お読みいただきありがとうございました。

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